インフラと土地

昔々、ある二つの町の住人たちは、お互いに交易(交換)をしたいと思っていました。しかし、町の間に川がありました。最初は泳いで行き来していたが、そのうち、渡し船を使って交易が行われるようになりました。
しかし、渡し船では、一度に運べる量に限りがあったり、積み替えや待ち時間があったりして、使う人はあまり多くなく、船の数も限られ、運賃が高いことなどによって、交易はある水準で頭打ちになりました。
そこで、橋を架けると、積み替えや待ち時間が無くなり、一度に運べる量が大きく増え、交易が拡大しました。橋の建設費と維持管理費用の負担は、当然、橋を通るものから通行料を取りました。最初に作った橋は、通行料で利益が出ました。
二つ目の橋はあった方が便利になり、交易が拡大して、お互いの町が豊かになるので橋を架けました。しかし、思ったほど通らず、通行料を上げたけれども、利益が出ませんでした。そこで、関税を取り、橋の赤字を穴埋めしました。それでも、住民たちは、税金を考えても豊かになりました。
三つ目の橋があればより一層便利になり、交易がより拡大して、お互いの町がより一層繁栄しそうでした。しかし、通行料は、これ以上上げても、利用者が減り収入は、増えそうもなく、これ以上関税を増やすと、橋を架けることによる交易の増加以上に交易が減りそうでした。
何か、いい方法がないかと、町を観察すると面白い現象を発見しました。橋を架けるたびに土地の価格が上がっていたのでした。それも、便利な場所ほど価格が上がっていました。そこで、土地の価格に定率で課税することによって、三つ目の橋ができました。
三つ目の橋を建設すると、土地の値段がまた上がりました。そのため、税収が増え、四つ目の橋が架ることができました。そして、また、土地の値段が上がり、税収が増えました。
この頃、住人たちから橋を通るたびにお金払うのは、面倒だとか、心理的に通りにくいとかの声が出てきました。それに、関税が高くて交易しにくいとの声も出てきました。
そこで、土地の税収がたくさんあったので、通行料と関税をなくしてみました。
すると、住人たちは今まで以上に橋を通り、交易をしました。そのため、土地の価格は、また上り税収が増えました。そして、もっと大きな橋に造り変えました。そしてまた、土地の価……。
こうして、二つの町(もう都市かな)の住民たちは豊かに暮らしましたとさ。
おしまい

赤いリンゴと黄色いリンゴ

あるところに、一年間に、それぞれ赤いリンゴを100個生産する人と、黄色いリンゴを100個生産する人がいました。二人とも、一年間に赤いリンゴと黄色いリンゴを半分ずつ食べたいと思っていました。そこで、お互いにリンゴを50個ずつ交換して、満足していました。

 

ところが、ある年、突然、G(政府)という人が、二人に生産したリンゴの半分を差し出せと要求してきました。Gはとても強く、二人は従うことにしました。そのため、二人は赤いリンゴと黄色いリンゴを25個ずつ(合わせて50個)しか食べることができなくなりました。

 

次の年、Gは生産したリンゴの半分ではなく、食べたリンゴと同じだけリンゴを納めろと言ってきました。食べたリンゴと同じだけ(1対1で)収めるためには、生産したリンゴの半分を納めなければなりませんでした。当然、二人が食べられるリンゴは50個でした。

 

その次の年、Gはリンゴを一度すべて売ってしまい、Gはリンゴではなくお金で納め、そのあと必要なリンゴを買うようにと、言ってきました。また、Gに納めるお金と、リンゴを売ったお金からGに納めたお金を引いた金額が同じ額になるようにと、言ってきました。二人は、残ったお金でリンゴを買うと、それぞれ50個のリンゴが買えました。

そのまた次の年、Gはリンゴに価格の半分を上乗せして、そのお金をGに納め。そのあと、もう一度残ったお金の4分の1を納めろと、言ってきました。すべて納めると、お金は半分になりました。

 

そのまたまた次の年、Gは二人にそれぞれ会社を作り、従業員として賃金を貰えと言ってきました。そして、三つの仕組みで、お金を納めろと言ってきました。
一つ目は、会社の売り上げを3対1の割合で会社とGで分ける。
二つ目は、会社が従業員に支払った賃金の2割に相当する額をGに納める。
三つ目は、従業員は賃金の5分の1をGに納める。
(会社は従業員とGにすべてのお金を使い、Gはお金をすべてリンゴに替える。)

それぞれ二人は、手元に残ったお金で、赤いリンゴと黄色いリンゴをいくつずつ食べることができるでしょうか?

政府は国の大家さん

現在、新型コロナウイルスの感染を抑制するために外出の自粛と店舗の休業要請による売り上げの低下によって、賃料を払うことが困難になっている企業が多くある。
ここで、国をショッピングモールだと例えて見てみよう。ショッピングモールは、施設(道路と建物)を建設し、店舗を配置して、お客を呼び、賃料収入で運営している。
そのほかに、このショッピングモールの運営者は、従業員(お客)の住宅の持ち家や賃貸住宅の貸主に土地を貸し、道路などのインフラストラクチャーの建設や維持管理を行っている。また、自前の消防、警備組織を持ち、施設、住宅内の安全を保っている。そのため、土地の借主、建物所有者から、その対価を得ている。(実際には、政府はショッピングモールの運営者たちに土地を貸して、インフラや安全の対価をもらっている。)
ある日、ショッピングモールの中で伝染病が発生し、運営者は、感染を減らすために不要不急の来店の自粛要請、感染リスクの高いテナントの休業要請をした。(このショッピングモール以外にほかのお店がないので完全に閉鎖することはできない。)このため、来店者の減少、店舗の休業によってテナントの売り上げが減少、または、なくなっている。それと、従業員も仕事がなくなり、家賃やローンの支払いに困っている者が多数いる。
このような場合、ショッピングモールの運営者はどのようにするべきだろうか。当然、借主は賃料を払うことが困難になるので、賃料をできる範囲で減免するだろう。そして、従業員の家賃やローンの支払いを助けるため、インフラや安全の利用料を一時的になくし、貸主に減った分の家賃を下げさすだろう。
しかし、なぜか、このモールの運営者はショッピングモール全体のことを思って、感染防止策を取り、営業を制限した。このまま、放置すると多くテナントが潰れ、生活が破綻する従業員たちもいるだろう。そして、このショッピングモールは、テナントとお客(従業員)が疲弊して、賑わいが減り、将来の利益が減ってしまうのに賃料とサービスの利用料を減額しようとしない。(流動性はたくさんあるのに減額しても範囲を絞り、いろいろな条件を付けて渋っている。)
なぜだろう?政策担当者とその周辺には影響が少ないから、想像できないのだろうか。
現実では、大きな商業施設の事業者は賃料を減額している、また、都市国家シンガポールでは、商業用途の固定資産税を減免し、貸主がその分を家賃から引くことを義務化した。
しかし、シンガポールのように企業だけに払い戻しするのではなく、国民も経済的なダメージを受けているのだから感染防止策によって影響を受けている国民の負担を軽減するために商業用途だけではなく住宅用途も(そもそも区別できるの?)固定資産税,都市計画税を一時的になくし、払った分は払い戻すべきだろう。(固定資産税は、地方税で、土地、家屋、償却資産が対象である。土地、家屋は当然だが、償却資産への課税は投資を阻害するので、経済対策としてするべき。家屋も償却資産なので、将来的に固定資産税をなくし、火災などのリスクに応じて消防税にとるべき。)


現在、議論している条件だらけの複雑な家賃補助や一時的な肩代わりでは、対象の範囲が限られ、金額が小さすぎ、政策が確定するのが遅すぎる。
そのため、すみやかに日本政府は、固定資産税と都市計画税を一年間無税として、貸主には税金が減った分を家賃から引くことを義務化し、地方政府には税の減収分を補填するべきだ。

財源? 
あわせて10兆円ぐらいだから、政府紙幣でも、国債引き受けでも、なんでもいいから、インフレ率が2%になるまで刷ればいいのでは。
 

コロナ対策における社会全体の利益と個別の利益


世界中でコロナウイルスの感染抑制のため社会的距離を制限するために経済活動の制限、自粛が行なわれている。感染拡大による医療崩壊が起き、死者数が増大することを阻止するために必要なことだが、経済的な損害を受けている多数の人たちがいる。死者数を減らすことが社会全体にとって、経済的な損害を上回っているのなら、この措置は正しいのだろう。
しかし、社会全体の利益とそれぞれ個人の利益は一致していない。経済的な損害が小さく、感染して重症化や死亡する確率が高い人は、大きな利益があるだろうが、経済的な損害が大きく、感染して重症化や死亡する確率が低い人にとって損害が利益を上回る。ここで必要なのは、利益が得る人から、損害がある人へ、保証することで、外部効果を内部効果にすることだ。しかしながら、それぞれの人々が、個別に交渉しても、時間や労力など多くの取引費用が掛かる。また、大多数の人々が社会的距離の制限をしないと効果は少ない。そのため、利益を得る人から、損害を受ける人への補償を強制的にし、行動を制限しなければいけないが、これができるのは政府しかない。
だが、現状では政府は、行動の制限は行なっているが、経済的な損害を受ける人への補償を出し渋っている。今回のコロナの死亡率は高齢者が高く、若者はとても低い。収入が保証された首にならないサラリーマンや年金受給者は経済的な損害は少ないだろうが、子どもの世話をするために仕事ができなかったり、経済活動の制限、自粛によって仕事がなくなったり、減ったりした若い世代にとってはメリットが少ない。いつものようにもともと仕事がに就いている人は保証されるが、何か理由があって、現在、仕事に就いていない人これから職を得ようとする人は保証されない。このままいくと、若い世代は、経済の停滞によって将来の生活水準が落ち、失業率が上昇し、そのため経済苦による自殺者が増えるだろう。そして、若い世代の自殺者はコロナによる死者は、大きく上回るだろう。このまま補償をしないのならブーマーリムーバーという声が大きくなるだろう。政府は速やかに経済活動の制限、自粛によって利益を得る人から損害を受ける人への補償を政府が代わりに強制的にすることが必要だ。
そんなことをしなくても,お金を刷って配ればいいのにね。

注 経済的という意味は、貨幣で取引されるものだけではなく、貨幣で取引されないものも貨幣価値に換算されて含まれる

貨幣の変動はいついかなる場合も貨幣的現象である

「経済生産より速いペースで貨幣量が増えることによってのみ生じ得るという意味で、インフレーションはいついかなる場合も貨幣的現象である。」と、ミルトン・フリードマンは述べているように、昔から多くの人が貨幣とインフレーション(デフレーション)の関係を論じてきた。
物価水準は、需要が増えれば上がり、需要が減れば下がる。また、供給が増えれば下がり、供給が減れば上がる。

需要とは、貨幣を渡し、物やサービスを受け取りたいということで、供給とは、物やサービスを渡し、貨幣を受け取りたいということである。

よって、インフレーション(デフレーション)の原因が需要にあろうと供給にあろうと貨幣量が増えようが減ろうが、すべて貨幣的なことである。
ここで、定義に従えば、物価水準とは、一般物価財と貨幣の交換比率であり、インフレーション(デフレーション)とは、物価水準の継続的な上昇(下落)という意味である。

物価水準の逆数は、貨幣価値であるので、言い換えると、インフレーション(デフレーション)とは、貨幣価値の継続的な下落(上昇)である。

よって、貨幣価値の変動はいついかなる場合も貨幣的現象である。

総貨幣価値方程式

貨幣需要と貨幣供給


私たちは、毎日、物やサービスを、貨幣を媒介として交換している。貨幣と物やサービスを交換することを売買という。物やサービスを相手に渡し、貨幣を受け取る方から見れば「売る」という。貨幣を相手に渡し、物やサービスを受け取る方から見れば「買う」という。このように、同じ行為でも立場によって「売る」「買う」と別の言い方をする。


(ものやサービスの)供給とは、ものやサービスを相手に渡し、貨幣を受け取りたいということなので、貨幣需要である。
(ものやサービスの)需要とは、ものやサービスを相手から受け取り、貨幣を渡したいということなので、貨幣供給である。
(ものやサービスの) 供給=貨幣需要 S=MD
(ものやサービスの) 需要=貨幣供給 D=MS

総貨幣価値  AMVa

すべての貨幣価値とは、貨幣価値とすべての貨幣供給の積である。また、すべての貨幣需要である。
よって
貨幣価値×総貨幣供給=総貨幣需要 MVa×AMS=AMD=AMVa

貨幣価値 =総貨幣需要/総貨幣供給=総供給/総需要
MVa=AMD/AMS=AS/AD
物価は貨幣価値の逆数なので

物価=総需要/総供給 P=AD/AS